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私の反省 [雑感]

この一週間、TVメディアも新聞も、大阪の学園長の「疑惑の違法性」という、
意味不明な日本語を、鼻たかだかと使っていました。

その心は。

絶対に傷つかないところから、誰かをたくさんの人間で攻撃するのは面白い、です。
もしくは、扇動するのはお金になる、ということです。

私はその学園長のことを存じ上げないし、今回の話題以前に
何年にもわたって何度かネットニュースの項目に上がっていた記憶がある、
その程度の情報しか持ち合わせていませんし、戦前の教育勅語が素晴らしい、とも考えていません。
いいところもあるし、恣意的な厄介なところもある、でもそれは、その時代の要請で加味されていた事、
教育勅語に悪さはなくても、それを扱う人間の問題でしょう、というのが立場です。

ですが、考えてみることがありました。

あの学園長を、彼は教育者では無くてビジネスマンだ、と、批判めいて、誰かが言ったことです。





ビジネスマンは、商売人、だったかもしれません。

あの学園長の経歴を調べると、彼の伴侶の父親が幼稚園の学園長で
その後継者ということがわかりました。

その彼は、先日会見を開いたそうですが、見なくとも、被害者の体で会見をしたのは
想像するに難しくはありません。
彼の心情からすればそうでしょうし、加害者が被害者ぶるのは、昨今の世の流れです。

さてそれはともかく、私がその経歴を知った後に考えたのは
この現学園長の本心は、わたしは商売をしているだけだった、だろうということです。
効率よく、資本を運動させて増殖させる。
その効率よくを、どのようにしたのか。
それは彼が、義理の父親から地位を受け継いだということがわかり、合点が出来ました。

この学園長は、今まで、自分の腹を痛めたビジネスをしていないのではないか。
無論、ビジネス、商売ですから、リターンがある事に意味があります。
その元手から、彼は、最も効率の良い方法を選択し続けていた。
まずは、自分の財産では無かった学園長の地位の継承。
もっとも法律的にも問題なく、自分の手に入るものでしょう。
そしてそれを増幅させていくのが、資本家の本能です。
それは金銭でも、地位か名誉でも。
しかし彼が商売人と考えると、商売を手広くしたい、それだけだったなのかもしれません。

そこで彼が利用したのは、愛国者、という立場。
愛国者になるためには、勉強も試験も面接も必要ありません。
自分は国を愛している、だから他国を貶める、と、大きな声でどなり散らせば散らしただけ
地位を確保できるという職業です。
それで利用したのが、政治家、と考えます。
学校認可にせよ運営にせよ、とにかく商売に結び付くためならば、なんでも利用する。
それだけだったのではないでしょうか。
言うだけで済む愛国者のレッテルを受ければ、安部首相の近辺の同類ともお近づきになれます。
そのためには、首相夫人の名前も使う、政治家にも会う、地元議員にも力を借りる、官僚にも・・・。
商売のためには、主義主張など彼にとっては二の次のことだったのではないか、と考えてみると、
さもありなんと、考えることが出来ました。

そして興味深いのは、今回のこの事案、政治の圧力があったのかどうか不透明だが
国有地の売却価格の妥当性が取りざたされました。
さて、これは政治家だけだったのでしょうか?
この商売人の思考パターンからすれば、官僚にも当然、
手を回すはずですが、今回はその件には一切触れられていません。

そして、今回の騒ぎの前にも、何年も前から、この幼稚園の偏向教育についての記事は
探索射撃のように何度も上げられていました。

ですが大きな話題になったのは、この国有地の売却金額からの一件です。

シンプルに考えれば、情報をリークした組織がいて、
それに民進、共産、メディアが飛びついてメディアが展開をさせた、と、いぶかしがるものです。

その目的は?
安部政権に対する威嚇射撃でしょうか。ちゃんと消費税増税してね、とか。
それとも、この商売人が面倒で、どうにかしたかったから機会を見計らって処分した。
複数の要因が絡む事でしょう。

商売人が、教育者という立場を相続した、相続したモノを元手に、色々都合よくやりたい。
お役所仕事に横やりを入れられるのは政治家だ。
その政治家にお近づきになるにはどうすればいいかを考えた。
それは、最もお金がいらず、効率の良い方法が「愛国者」になることだった。
地方議員よりも国会議員、国会議員の中でも与党議員、与党議員の中でも閣僚級の議員、
そのトップは首相でしょうと。

教育者というよりも商売人だ、という批判めいた言葉は、商売人に失礼な言い方です。

ですがそれよりもわたしが嫌悪するのは「疑惑の違法性」という日本語です。
違法であるかどうかは分からないから、違法でないとお前が証明しろ、ということです。
法治国家とは思えないような、稚拙な論理です。

この学園の偏向したという教育方針に、白黒をつけられるのは、
生徒が集まるかどうか、それで片がつくはずです。
このような偏った教育を受けさせたい人と、受けさせたくない人の数の論理で
学校運営が継続できるかできないか、至極まっとうに決められます。
これならば、教育の自由も、思想の自由も守られます。
彼は商売人ですから、もうからないと分かった方法とは違った方法で、学校運営を始めたでしょう。

ですが、教育も思想の自由もすべて、マス、という、法的根拠も何も持たない裁判官が
正義を決めるわけです。
その時の雰囲気と、メディアに映し出された醜悪な事象が事実であるかどうかも確かめることなく。

今回のブログの内容をなぜ書いたかは、
鈴木宗男氏と佐藤優氏の事件で、政治的冤罪事件に対する反省があります。
私は当時の報道に対して、無邪気でした。
メディアが報じる内容に、疑問を持つことなく、真偽を考えることなく、
自分の正義とは何かを知恵を使って考えることが無かったあの当時の自分を反省しています。
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